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本日の特集は#トニーベネット
2017年09月02日
本日の特集は#トニーベネット
1926年生まれですから91歳になります。
私の記憶では、トニーベネットは日本では「通好み」で、レコード時代は日本でそれほど売れませんでした。
日本で売れるきっかけは、1990年代のMTVアンプラグド。その後2000年代のデュオアルバムの企画が当たってからだと思います。
イタリア系アメリカ人らしく、豪快な歌唱法が魅力ですが、ビルエヴァンスとのデュオアルバムのように抑えた歌唱法も出来る器用な歌い手です。(ちなみにビルエヴァンスはトニーより3つ下!)
私は1981年のフェスティバルホールの講演に行った記憶があります。それが下記のパンフとチケットの写真です。
この時の集客はさっぱりで、半数以上が空席でした。また来られていたお客様の大半はチケット購入者ではなく、JALの招待客でした。(私は1Fの最前列)
でもステージは手抜きなく、笑顔を絶やさず豪快に歌う姿に結構感動したものです。
ウィキペディアでは来日公演は1989年から記載されていますが、この1981年講演は3回目で、1968年、1971年に次ぐ10年ぶりの講演となります。
彼は、当時のパンフに「私の歌でひと時でも夢を与えられたら」と書いています。まさしくそういう所が彼の最大の魅力だと思います。だから彼は自分の納得出来ない曲は歌いません。徹底したプロ根性が彼を長年支えていたのだと思います。
本日は最近のデュオアルバムよりは、50年代~70年代の曲を中心にお届けします。
1926年生まれですから91歳になります。
私の記憶では、トニーベネットは日本では「通好み」で、レコード時代は日本でそれほど売れませんでした。
日本で売れるきっかけは、1990年代のMTVアンプラグド。その後2000年代のデュオアルバムの企画が当たってからだと思います。
イタリア系アメリカ人らしく、豪快な歌唱法が魅力ですが、ビルエヴァンスとのデュオアルバムのように抑えた歌唱法も出来る器用な歌い手です。(ちなみにビルエヴァンスはトニーより3つ下!)
私は1981年のフェスティバルホールの講演に行った記憶があります。それが下記のパンフとチケットの写真です。
この時の集客はさっぱりで、半数以上が空席でした。また来られていたお客様の大半はチケット購入者ではなく、JALの招待客でした。(私は1Fの最前列)
でもステージは手抜きなく、笑顔を絶やさず豪快に歌う姿に結構感動したものです。
ウィキペディアでは来日公演は1989年から記載されていますが、この1981年講演は3回目で、1968年、1971年に次ぐ10年ぶりの講演となります。
彼は、当時のパンフに「私の歌でひと時でも夢を与えられたら」と書いています。まさしくそういう所が彼の最大の魅力だと思います。だから彼は自分の納得出来ない曲は歌いません。徹底したプロ根性が彼を長年支えていたのだと思います。
本日は最近のデュオアルバムよりは、50年代~70年代の曲を中心にお届けします。
Posted by ビーバンプ at 13:12│Comments(0)